【2012年3月11日~20日までの日記】
ナムチェで2泊した後は次の目的地、パンボチェへ。
が、私たちは事情があり、プンキ・テンガで1泊。ナムチェより高度が200m下がります。
↓ 富士山くらいの高度でもこんなたくさんの子供が通う学校があるんですね。
↓ 種芋を蒔く風景。ガイドさんお勧めネパール料理”芋”!
↓ モンゴルと同じで背の低い馬。
↓ トレイル整備への寄付箱。私達も少し寄付。トレイルはこの通り、とても歩きやすく整備されています。
↓ 毎日何度も追い越され、すれ違うゾッキョ。ヤクと牛の雑種です。癒される・・・。
トレッキング初日から感じてたけど、このような圧倒的なスケールの山々に囲まれていると、山に畏敬の念が溢れてきます。山岳信仰というものの原型ですね。
↓ アマラブラム 6,812m。
プンキ・テンガには結構早く着いた。体調が良ければこの先のパンボチェまで行ったほうが絶対いい。というのもプンキ・テンガは川沿いの谷にある小さな村なので、夜めっちゃ寒い。しかも泊まったロッジには電気がなかった。
トレッキング5日目、プンキ・テンガからパンボチェ(Pangboche) 3,930mへ。やっと富士山より高いところへ。
6日目、パンボチェからディンボチェ 4,410mへ。
↓ お天気がいいから馬も嬉しそう。お天気のいい午前中は髪をあらっている女性が多いです。
↓ トレッキング中ずっと飲んでいたジンジャーティー。
4,000mを超えた時点で夫は杖をゲット!杖があると随分歩きやすいとか。
7日目はロブチェ 4,910mへ。私はまだ余裕。
5,000m近くになると周りの風景が少し変わります。大きな石がごろごろした荒野。緑が無くなって来ました。酸素薄いって体感しながら歩いている人には厳しい風景ですね。
↓ 日本人登山家の慰霊碑。
7日目、ロブチェからゴラクシェプ 5,140mへ向かう朝、今までで一番寒かった。朝8時前から11時くらいまではとにかく寒かった。寒さが私の体力を奪う。
↓ 5,000mを超え、ひとり元気いっぱいなガイドのラムさん。
ゴラクシェプに到着した頃から私も体調が悪くなり、それを見た夫が今度はちょっと元気に。ゴラクシェプに到着した8日目はこのまま休もうと思ってたんだけど、この日にベースキャンプまで行くことに。
↓ ベースキャンプに向かう途中の道から見えるエベレスト!周りの山も8,000m級なので、エベレストを見るのも大変です。
↓ ずっと元気だった私ですがここで心が折れそうになってしまいました。ヤクに乗りたいわー。
↓ 写真だと全然伝わりませんが、突風が吹いています。泣きそうになりながらヨタヨタ歩くんだけど、明日のカラ・パタールへの体力温存を考えて、私この辺で待ってるから・・・って言ってみたけど、ガイドさんに、寒さと突風で血が固まって待ってても死んじゃうから一緒に・・・って。
ずっと体調が悪かった夫に最後は手を引かれてベースキャンプ5,350m到着!
ガイドさんと3人で!ガイドのラムさんはロブチェあたりから私たちのカメラも水も持ってくれて、写真まで撮ってくれて最高のガイドさんでした!ガイド兼カメラマン兼ポーター!
彼は14歳から裸足でポーターの仕事をしていて、6年前から政府公認のガイドになったそう。3ヶ月勉強したという日本語がめちゃくちゃ上手で、英語ももちろん、イタリア語も話せる。私達と一緒にいた期間で更に日本語が上達。
ベースキャンプに向かった時間が遅かったので、帰りは急ぎ気味で。
↓ 雪崩。轟音が恐ろしかった。
↓ 夕焼け。
帰りは今度は夫がしんどそう。
夜は相変わらずロッジ内は寒い。トイレも凍っていて、ガイドさんに”夜中にトイレで転んで死んだ人いるから気をつけて!”って忠告を受ける。確かに凍ってる・・・。ロッジのトイレって、水を張ったドラム缶が置いてあって、その水を使って流すんだけど、ドラム缶の水がガッチガチに凍ってるから流せない!みんな高山病でお腹こわしてるから懐中電灯で便器照らすと吐きそうな光景が広がってました。
寒いので出来うる限りの厚着をしてるので、トイレで脱ぐのも大変!トイレまで行くのも息切れするけど、ズボン下ろす作業でもかなり息切れします。そんな中の頻繁な下痢。
ゴラクシェプの夜は相当しんどかったけど、星空は最高でした。世界で一番星に近づいた時だったかも。見える星の数はエジプトの砂漠やハワイのマウナケアほどじゃないけど、ダイナミックな見え方に一瞬寒さを忘れられるくらい素晴らしい。
そして9日目、ゴラクシェプからカラ・パタールへ。朝からマックス体調の悪い私・・・一緒に行けるかなぁ。
ダイビングと一緒で素人の単独行動は無理そうなので、もし私が途中で引き返すことになると、3人一緒ってことになってしまうので、今日はポーターのスィリさんにもついて来てもらうことに。
案の定、私ギブアップ。スィリさんとゴラクシェプまで下山。夫はラムさんとカラ・パタールへ。
↓ 私は見ていない風景。
エベレストがキレイに見えてますね。。
カラ・パタール山頂の高さは5,545mとガイドブックに記載されてたけど、今は少し高くなって5,600mだったみたい。
あんなに体調悪かった夫は見事に成し遂げました。
ゴラクシェプに下りてきた夫の顔色はすこぶる悪い。ガイドさんが先に下りてきたんだけど、”彼、相当しんどそうだからヘリ呼んだほうがいい”って。
ちょうどこの前日に私たちとほぼ同じ日程でここまで来たドイツ人夫妻の片方が亡くなったんです。それもゴラクシェプで体調が悪くなり、少しでも高度を下げようとロブチェまで下りたにも関わらず・・・です。
それを聞いて怖くなったのもあるし、私自身も相当体調悪くなってたので救助ヘリを呼んでもらいました。(直前までずっと元気だった私が救助された・・・ってのが今思えば悔しい。)
↓ ゴラクシェプのロッジ内の風景。夫を待っている間ずっとこことトイレを往復しながら、元気よく出発していく白人団体を見送ってました。
もしこれからトレッキングに行く人は国旗かTシャツを持って行ってください。飾ってくれます。
↓ 救助ヘリ。高度5,140mで空気が薄いため、ヘリで運ぶのひとりずつ順番に。まず私と荷物が先にロブチェまで。次に夫。その次にガイドさん。ポーターさんは自力でルクラまで。なのでポーターのスィリさんとはここでお別れです。ルクラまで一緒に行きたかったなぁ。
ロブチェで全員揃うのを待って、ルクラで燃料補給&パイロットの休憩、その後カトマンドゥまで。そして空港から病院直行。
トレッキングの途中から”明日の朝、目が覚めるのかな・・・”って夫が言ってたけど、ゴラクシェプで私もその状態に。死ぬかもしれないって心底思ったのは人生初体験でした。でも、やっぱり自分が目覚めないかもっていう恐怖よりは、夫が目覚めなかったら・・・って思うほうがずっと怖かった。夜中にお互い”生きてる?”って声をかけあう数日間でした。
トレッキングから2ヶ月経った今、写真を見返すとまた行きたいと思うから不思議。今回のトレッキングを経験する前まではアフリカのキリマンジャロ登山は嫌だと思ってたけど是非行ってみたいと思うようになった。またヘリで運ばれるかもしれないけど・・・。
次はトレッキング中の食事について書きます。